30年前が蘇る
急に思い立って映画館へ。
30年前、田舎の女子高生だった私。
弟が買っているジャンプに面白い漫画があると、友人が一冊のジャンプを持ってきたのがスラムダンクとの出会いでした。
主人公の桜木花道は、高校1年生で同い年という設定も引き込まれたきっかけだったのかもしれません。
それからは毎週友人が持ってくるジャンプを皆で回し読みして(すみません)、「やっぱ流川君だよね」「いや、ミッチー(三井君)最高!」「木暮君もいい味出してる」と、今で言う”推し”をそれぞれ見つけながら、ワイワイやってたなーなんてことを思い出して映画館の席につく。
ちょうどアニメが始まる頃から高校を卒業して新しい人生が始まり、スラムダンクがどう終わったのかも知らないままでした。
2月某日。平日昼間。渋谷の映画館。
オープニング曲と共に湘北メンバーが現れるところから心臓鷲掴み。
あっという間の2時間でした。
鑑賞後はただただ、作者・製作者の井上雄彦さんへのリスペクトでいっぱいになりました。
圧倒的に先だった
現代と昔、感じていた違和感をこの映画でやっと理解できました。
昔はメディアやエンタメ、芸能人は、常に大衆よりも圧倒的に先でした。
こんな視点があるんだ、こんな見せ方、発想があるんだと。
アーティスト+クリエイター、二つの才能を持つ人でないと生みだせない世界観。
今はメディアが後。大衆に迎合するエンタメや芸能人が生き残る世界。
SNSでは自己顕示欲の塊である普通の人が、必死に盛った自分を露出する。
その中で目立つ人をメディアが追いかけたり、まったくの個人の感想を大々的に”世間の声”として取り上げたりする。
”共感”こそが正義のように掲げられるけれど、新しい世界を見せてくれる人の感覚に共感なんて凡人にできるわけがない。
それらの人が創り出したものは共感ではなく、感動や発見になる。
もうSNSがあるから無理なのか。
そんな感覚を求めること自体が古いのか。。。
本作が日本だけでなく海外でも支持されているのを見ると、やっぱりこういう才能がある人の登場や活躍が何かを生み出すのだと安心しました。
アーティスト&クリエイターの人にはがんばってほしいなー。圧倒的な世界が見たい!
スラムダンク湘北メンバーの眉
職業柄、どうしてもチェックしてしまいます。
劇中、宮城リョータの眉に触れるセリフもあったけれど、ちゃんと眉に個性が現れているのもキャラクター作りに余念がないと唸りました。
ゴリは太くて頼りがいのある雄!というイメージ。
角度はゴリの角張った顔立ちを表しています。
やっぱりキャプテンの貫禄があります。
リョータはチャラ感・オシャレ感のある細いアーチ。
実は、細眉を好む男性は繊細な傾向があります。
本作の主人公だったので表情と共に動く眉の形が印象的でした。
三井君、流川君はストレートで長め。
目よりも眉が長いのはエリートだったり知性があるタイプに多いんです。
二人とも若い頃から才能があって知的な点もピッタリ。
花道は一本気をそのまま表現したストレートの上がり眉。
闘争本能が強いが、実直。
高校生時代友人と話してた呼び名そのままで書いてしまった。
これは私見ですので、作者の意図するところとは違うかもしれません。メイクや眉を生業にしている者としての考察です。
映画はちゃんと当時のクスッと笑える部分と、名言と、カッコ良さと、ハラハラドキドキが全て詰まっていました。個人的には安西先生のタプタプがめちゃくちゃ嬉しかった。よく真似してたなー。
観ていない方は是非。