実技試験の課題はカット&オールウェーブ またはカット&ワインディング どちらかです。
カットは必須。
オールウェーブ かワインディングかは試験の3ヶ月前に発表されます。
美容師以外の美容の仕事のために試験を受ける者にとっては、両方練習しても一方は全く意味のない努力になるのです。
偉そうに言えることではないですが、“無駄な努力はしない”が私のモットーです。
どんな経験も無駄じゃないとは言うけれど、テストに出ない課題に時間を費やすことは耐えられない‼️ ということで、課題が決まるまで頑張らないことに決めました。
私が受ける国家試験はどちらが課題になるか?先生に意見を聞いたり、ネットの情報を調べた結果、8割がオールウェーブだろうとの見解。
とにかく課題が発表されたら仕事を休んででも3ヶ月間集中して練習しようと決めました。
そして運命の11月1日大方の予想どおりオールウェーブと発表されました。
私はスクーリングだけではとても無理だったので、クラスメイトに紹介してもらったプライベートスクールに通いました。 実技練習の計画はこう立てました。
①8月からスクールに通い、10月末までにカットをできるようにする。
②11月の第2課題発表と同時にオールウェーブ練習開始。
③11月と12月でオールウェーブを習得し、最後の1月、1ヶ月間はカットとオールウェーブを合格ラインに仕上げる。
10代の通学生が2年間かけてやることを数ヶ月で達成するのです。とんでもない努力が必要です。
11、12、1月は最低限の仕事以外、朝から晩まで休みなく練習し続けました。
何度やっても上手くできない、でも”できない”じゃ終わらない。
落ち込む暇があるなら手を動かす子供の頃よく母に言われました「口動かすなら手を動かしなさい!」そんなことも思い出しつつ・・・ 今振り返ってもあんなに孤独で必死で自分にムチ打った経験は初めてです。
会社は練習場と化しました。
これが3ヶ月間の成果です。
試験は2月3日。
1月29日の方も上手くはありません。
本番までの数日も相当練習したので、当日はこれよりも上手くはできましたが、試験会場では一番下手でした。
練習中に撮った写真の一部です。
初めて見る人にはですよね。
幅やカールの大きさは何センチ、カールの種類、方向、ピン打ちの場所、カールを巻き収める位置が定められています。
カットは部位別に決められた長さに切り揃えていきます。
YouTube様様でした。アップしてくださった方、この場を借りて本当に有難うございました!
一度切ったら終わりなので、練習すればするほどウイッグの置き場所、飛び散った毛の掃除が本当に大変でした。
ブロッキングもできなかった私が最後の10体くらいはシザーハンズのように約15分でチャッチャッチャッ‼️と切れるように。
忘れちゃいけないのが練習にかかったお金
まずプライベートスクール。
マンツーマンで1単位50分×20回 1回5,500円くらいだったと思います。
そのスクールが自宅から遠く、交通費も毎回往復約1,000円。
カットウィッグはスクールに行く度に購入(約3,500円)、それ以外の自主練用には20体以上をメルカリで購入(平均1体2,500円)。最終的に30体以上は切ったと思います。
30回ということではなく、1体を3〜4回くらいに小刻みに切りました。
他にもカット用シザー、ピンやローション、コームなど、練習すればするほど道具が汚れ、壊れたり足りなくなり、相当な金額を費やしました。
本番は”衛生”というチェック項目があるので、汚い道具、錆びたピンなどは使えません。
全て本番用と練習用を二つ用意。
余談ですがカット用のハサミ(シザー)がすぐに切れなくなるんです。
2本買いました。値段もピンキリ。本業ではないので数万円するようなものは購入しませんでしたが、形状、重さ、大きさ、開き具合など種類の多いこと!メンテナンスで研ぎに出したり、自分で何種類かの道具を買って研いだり・・・。
こういう経験をして初めて、美容師さんはこうやって道具に拘り、メンテナンスをしているのだと理解しました。
人は興味があるから知ろうとするものと思いがちです。
でも、”知る”ことで興味をもつこともあるのだと実感しました。
長くなりましたがここまで、できる人には必要のない時間とお金です。
でもクラス一下手だった私には必要経費。
正直、 とても怖かったです。
これだけ費用をかけ、時間も労力も費やして報われなかったら・・・
常にその思いが頭をよぎりました。
その度に これ以上の努力は自分にはできなかった そう言えるところまでやるしかない!と自分を奮い立たせました。
試験が終わったとき、落ちたと思いました。
でも、もっと練習すれば良かった、こうすれば、という考えは皆無。
あれだけやってダメならもう、最初から自分の努力は全て間違っていたのだと納得せざるを得ない心境でした。
合格を知ったとき、嬉しいよりも”ホッとした”というのは、こんな日々が報われたからなのです。